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 心理師ブログ 


社会全体の癒しと個人   堀 剛   

 人の心が癒されるということは、その人だけがただ癒されるということではない。人と人との関係の中で癒しは実現するのだと思う。
 こう考えてみると、現代のように地球的規模で自然破壊が進行し、しかもそれを止めることがとても困難に思われるような危機の時代においてこそ、人間の癒しはただ自分の癒しではなく、他者の癒しも含んだところに成り立つということを考えてみるべきかも知れない。人が人である限り関係の中に置かれている。たとえば、自分で選んだつもりはなくても、この国に生まれ、この時代を生き、この人生を生きている。それは自分で選んだというより、そこへ置かれたというべきであり、そのような関係の中に置かれている。

 ところで、人はなぜ生きるのかという問題は、人類最初から誰もが問い続けて来たことであるが、現代は人類存在とは何のためにあるのかと問うても良い時代だと思う。人類は何のために進歩や発展という直線的なベクトルに向けて歴史を動かしているのだろう。そんなことまでも問わねばならないほど、今や人類は行き詰まっていると思う。
 具体的には地球温暖化がその一つである。これはどんな思想がそこに構築されたとしても、地球の温度を少しでも下げることができなければ何をしたことにもならないという極めて分かりやすい指標となっていくことだろう。

 このような時代にこそ投げやりにならないこと、そして、人の癒しから人類の癒しにまでつながる思想を生み出して行かねばならないと思う。謙虚に進歩とは何かを自問しながら、なお人間存在を肯定的にとらえるべきである。仮に人間存在をすべて悪として否定的に見るだけならば、そこから先は人類の手による危機の克服はほとんど投げ出された状態になってしまうかも知れない。なぜなら、端的に言えば、存在が悪ならば存在しない方が良いなどというような馬鹿げた理屈にもなりかねない。

 そのようにならないためには、人間存在と歴史の積極的意味を見つめて行くことである。存続の意義を更に根底から問いながら、歩む必要があると思う。そして、個々の人間は自らを癒して行く力と同時に時代と社会をいかに癒すかと考える必要があると思う。例えば、私のまったくの私見であるが心理学における臨床心理学的地域援助とはこのような事柄を具体化しようとする分野だと思う。必然的に危機を打開する力を信て行かねばならない時代に我々は至ったのだと思う。

 頭の堅い中年が言うことだと思われるかもしれないので、寛容にお読みいただきたいが、「あれから、僕たちは何かを信じてこれたかな」という歌のフレーズがある。私はあれが気になって仕方がない。なぜなら、自分が何かを信じていたかどうかさえもあいまいな時代ということかと考えさせられてしまうからだ。

 最初に人は関係の中で癒されると述べたが、関係とは社会でもある。そして、個人の癒しは同時に社会の癒しと密接につながっている。エコロジーの視点も社会的思想であるのは言うまでもない。また、個としての人間の域を超えたものとして提言されているトランス・パーソナル心理学とその思想も極めて社会変革的な思想となりうると思うとまで言えば、異論が出るかもしれない。しかし、個の変化は同時に類の変化だとすれば、トランス・パーソナルの視点はやがて価値観の変化を社会にもたらしうると思うのである。



 

 





  


 

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