1
ソクラテスは「私は何も知らない」と言った。そして、当時の知的集団であったソフィスト(智慧ある者という意味)と対峙せざるを得なかったのである。
ソクラテスの「メノーン」という対話篇を読むと、ソクラテスがどのようなものを知と呼んでいるのかがよく分かる。
メノーンとは一人の青年の名である。彼はソクラテスが徳を説いているが、どのようにして徳を獲得することができるのかをソクラテスのもとで論じ合った。
二人の対話がはじまると、やがて徳は人が人に教えられるものなのかが問題となる。言い換えれば、真理は人から人に教えうるものなのかということである。
そのようなやりとりの中で、ソクラテスは「徳がいったい教えられるものなのか、教えられないものなのかを考えるよりも先に、確かめておくことがあるのを忘れてはならない。そうしないと問いそのものが意味を失う、と考えて、そもそも君は徳とはなんだと思うのか」とメノーンに尋ねた。
メノーンは知りうる限りの彼の知を披露することになる。答えるのは簡単なことだと言いながら、「たとえば、男の徳というのは何でしょうか。それは国家の仕事を処理する能力を持つこと、友達をかばい敵をやっつけることだ。女の徳というのは世帯をよく守って、夫に仕えることですし、家を良く整えるようなことです。だから、何でもないではないですか。」と答えた。
ここで既にソクラテスの求めている知との乖離が起こっている。ソクラテスにとって、知とは情報の羅列ではなく、本質を論じることに他ならない。徳とは何かという本質概念をソクラテスが問うていることにメノーンは気づかなかった。
そこに当時の知の集団であったソフィストの限界があったことは言うまでもない。
2
ソクラテスは即座にそういうことを問うているのではないと切り返した。「仮に、私が蜜蜂とは何かと尋ねた場合に、君が、蜜蜂には色々な種類があります。これも蜜蜂です。あれも蜜蜂ですといって、知っているかぎりの種類を列挙してみる。それがいったい何になるだろうか。私は、蜜蜂である点では変わりがないという、そういうある本質を問うているのではないか。つまり、蜜蜂というのは蜜を集める蜂のことだ。こういうふうに答えるのが本当ではないか。だから、君が今、色々な徳の列挙をしたけれど、それでは答えになっていない。私の問いに於いて、そういうように列挙された種類のものをすべてを通して、一貫して変わらない徳の本質を知りたいのだ。」
ソクラテスが知とか真理というものをどのようなとらえていたのかが、この箇所を読むとよく分かる。ソクラテスにとって、知識の羅列は知ではないのだ。
例えば、昆虫とはどんなものかといえば、その種類の列記をするような情報的知ではなく、仮に昆虫の種がいくら存在しようとも、それを普遍的に言いあてる何らかの説明こそ、ミツバチの本質を言いあてたことになる。
私はここで種という言葉を使ったが、「種」とはギリシャ語でエイドスであり、それは形を意味する。(これは外観という意味も持つ。ここからさらにものの本質としてイデアという考え方がプラトンによって提唱された。)
ソクラテスが徳を論じたとき、それは知行合一によって体得できるものと考えたのは言うまでもないだろう。だからこそ、情報的知の羅列によって徳を論じることはできないのである。
更に二人の対話は続く、メノーンはソクラテスに向かって、逆に徳について知っているのかと問いつめる。するとソクラテスは、「解っていない。解っていないから、徳とは何かを知りたいのだ」と切り返す。ここで、ソクラテスは自らの無知を認めているようでありながらも、実は、メノーンを探求の世界へ導き入れているのである。要するにこれは私が以前にも(ブログに)、セラピストが気づいても仕方がないのだと述べたように、真理を探究する人がそれに気づくように誘導するのである。産婆さんの役割をソクラテスは実践していると思う。
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