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大阪 心理療法、催眠療法、オンライン・カウンセリング

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 心理師ブログ 

セラピストの勘違い    堀 剛 

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 セラピストはそれぞれに自分の得意な分野や得意な技法を持っていると思う。何でも出来るという人はめずらしいかも知れない。例えば、クライアント中心療法によるカウンセリングを常用されていたり、フォーカシングであったり、あるいは認知療法であったりと。私の場合は催眠療法であるというように。

 これらの様々な方法はあくまでも技法、技能、技術的方法である。だから、そのような技法を使うことによって、少しでもクライアントに楽になってもらえるようにと努力もするし、時には想像以上の効果を発揮することもある。上手く運んだ時はその技法は本当に便利だと実感もするが、一つ間違えると、まるで自分の力で何かを変えたかのような気分になってしまうことも正直言って、無いわけではない。これは大きな誤りだと思う。

 セラピストをしていると、人を癒すというのがあたかも自分の特別な力のように思ってしまう危険性を孕んでいる。でも、カウンセラーやセラピストは人生の達人ではないのだ。ただのテクニックですとサラリと言いたい。

 例えば、クライアントの体を治す医師が、体を治すことができれば、その患者さんより人生においても高次の人間ですということにはならない。同じく、たとえ少しくらい人の心を癒すお手伝いができたからと言って、カウンセラーもセラピストもクライアントより人生の先輩ですというようなことにはならない。

 セラピストは人生の達人ではないし、達人でなくとも、癒しは可能なのだと思う。たとえ、セラピストの方が高齢である場合でも、そのセラピストが人生の達人とも言えないだろう。老人を癒すということで言えば、小さなあどけない子どもたちの方が遙かに老人を癒すことができることだってある。

 だから、セラピストと人生の達人は別物だと、しっかりと言いたい。(なぜそんな当たり前な事を言うのですかと言われてしまいそうだけれど、どうもこんな事がとても気になるのです。)

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   私はソクラテスが好きである。彼は「私は何も知らない」と言っていた。そして、訪ねて来る人々に「何も知らない」という原点を伝えた。時には、ソフィスト(智恵ある者)と自ら名乗る人々も論争を挑んで来たようである。それでも、ソクラテスの前では、誰もが自らが何も知らない存在であるということを悟らされた。また、無知を認めざるを得なかった。それはもっとも謙虚な人としての立つべき原点でもあったと思うが、自尊心を傷つけられたかのような誤解をしたり、反感を持つ者もいた。やがて、彼はソフィストらと対立し、捕らえられ、死刑に処せられたのである。まさに真理のために命を奪われたのである。
 彼が法廷で残した最後の言葉は、「私は何も知らないということを知っている」であった。有名な無知の知という言葉である。そして、自ら毒杯を受けて死んでいった。

 ソクラテスは自分は何も知らないということを知っている、しかし、ソフィストたちは何も知らないどころか、知っていると思いこんでいる人々であった。その意味で、ソクラテスが考えた「知」の意味と、ソフィストが考えた「知」の意味は質的に異なっていたと言える。

 たとえば、真理とは真理自らが語るのであって、哲学者はそれを伝えることは出来るかも知れないが、哲学者はそれを伝える存在に過ぎず、哲学者自身が真理を生み出す何者かでもないし、当然、神様でもない。たとえば、産婆術の例で言えば分かりよいかも知れない。子どもを産むのは母親ではあっても産婆さんではない。そのように、真理自体はそれを示すという仕方によってのみ伝えうるのである。ただ、真理の方へ導くことはできるかもしれない。
 このことは、哲学者だけの話ではない。セラピストにおいても同様である。セラピストもいかに知識を持っていたからと言っても、役割は産婆さんと同じ事である。セラピストが真理を生み出すのでもなければ、セラピストが悟ったり、気づいたりしても仕方がない。クライアントが気づきに至るように案内するのが仕事なのだ。















  

 

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