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 心理療法 ノート 


「気づき」について      堀 剛

 心理療法学の用語として「気づき」という言葉がある。これは誰が気づくというのかと言えば、当たり前の事だが、悩んでいるその人が気づかねばならない。でも、下手をすると、悩みを抱えている人よりも周囲の人が気づいたような状態になって、悩みの主を取り囲んでいるという状況も起こりうる。

 たとえば、登校拒否やひきこもり状態になっている子どもに向かって、気づいたつもりで周囲が説得にかかる光景を何度も見たことがある。でも、当の悩みを抱えた本人が気づかなければ何も始まらない。その意味ではとても気の長い作業を覚悟しなければならないだろうし、子ども本人に気づきが開花するのをじっくりと見守らねばならないだろう。

 こんな分かり切った事を分かったように書いてはいるが、結構この点が心理療法室の現場でも理解されていない場合が多い。子どもさんといっしょに来談される保護者にもそのような方がおられる。だが、周囲が気づいても仕方がない。だから、私もセラピストとして教示や説教を垂れるようなことだけはしないように注意したいと思う。
 それでも、最近の新聞記事に学校のスクールカウンセラーが指示的な提案をしてくれないと不満げに書かれたものがあった。どうやらこれもカウンセリングの本質が誤解された一面があると思う。カウンセリングは本来、クライアントに気づかせるのが仕事である。たとえば、水泳のコーチが選手により早く泳ぐ方法を伝授するとしても、その結果、コーチが上達しても仕方がない。

 ところで、ギリシャの哲学者ソクラテスは問答法という彼独自の対話を青年らと交わしつつ、たとえば真理とは何かを語り合った。だが、そのような対話の場を積極的に設けていたはずのソクラテス自身は、真理について「私は何も知らない」と言いはなっていた。何も知らないのなら、人に哲学的対談なんてやめてくれと思う人もいただろう。だが「私は何も知らないということを知っている」と言っていた。

 多くの知者であると自慢するソフィストたちが、彼を言い負かそうと訪れたが、結局、彼らは自らも何も知らないということに気づかされたと思われる。ソクラテスの方がレベルの高い賢者として語ったのではなく、ソクラテス自身は自らの知の限界、すなわち人間の知の限界を示したのである。そして、訪れる人に真理について何も知らないということを気づかせたのである。すなわち、対話の相手に人間の知の限界を知らしめたと言える。このことは人間とは何かという気づきにも通じるものだと思う。

 デンマークの哲学者であるキェルケゴールもソクラテスの思想の影響を受けている人だが、彼は人が人に何かを伝えることを直接的伝達と間接的伝達との二つに分けて論じている。つまるところ、真理は間接的にしか伝達できないと彼は考えた。要するに訓辞を垂れるのではなく、伝える側は自らの生き方を通して何かを示すしかないのある。

 話を心理療法室でのセラピーに戻すならば、カウンセラーからクライアントに向かって、「君はこうすべきだ」というような直接的な指示は、本人が気づかないならば何の意味もない。
 そのように言われたいと期待する人がいるかもしれないが、でも、カウンセラーが気づいたことを答えだと言わんばかりに押しつけてみてもその人が心の底から変わるとは思えない。

 たとえ、人生の達人(それがどんな人なのか、私もよく分からないが・・)が自分の気づきを押しつけてみても、仕方がない。あるいは、たとえ神様であろうとそれを押しつけてみても仕方がない。問題は本人が「気づく」かどうかでしかない。

 ソクラテスは問答法という対話形式で相手に気づきをもたらした人と言えるだろう。これは心理療法での基本的な考え方に通じることだと思う。
 身近な人が迷っていて、周囲は歯がゆい思いをすることは分かる。でも、本人が気づくことを待つ優しさもまた心理療法では求められている。そして、変化への糸口を誰よりもクライアントが見いだせればと思う。


    
 





  


 

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